長崎に行ってきた

ashitaka56.hatenablog.jp
前回の続き。佐世保を後にし、長崎に向かいました。

長崎ちゃんぽん

着いて真っ先にやったことは腹ごしらえ。
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ホントにスープが真っ白!野菜もたっぷりでいいですね。

長崎新地中華街

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日本三大中華街の1つの長崎新地中華街*1
通りの両側にずらりと中華のお店が並んでいて、ここだけ別の街のようでした。
せっかくなんで小籠包を買って、食べつつ散策しました。

東山手甲十三番館

オランダ坂沿いにある洋風の住宅です。
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海外との交易が盛んだったこともあって、他にもこんな建物がいくつもありました。

大浦天主堂

国内に現存する最古の教会だそうです。
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グラバー園

幕末から明治にかけて活躍した貿易商のトーマス・グラバー。そのグラバーや他の貿易商たちが暮らしていた邸宅が立ち並んでいます。
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なかでもこのグラバー邸は大きく、当時相当儲けていたんだろうということが想像できます。

護衛艦

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グラバー園での撮影。
右は護衛艦あしがら。イージス武器システムの目印である八角形のアンテナが見えます。
左は昨年進水したばかりの護衛艦あさひ。竣工はまだ先とのこと。活躍が待ち遠しいです。
この写真のさらに左には武蔵が生まれた三菱重工業長崎造船所第二船台があります。
このあたりは軍艦島に向かう際にもっと間近で見ていたのですが、写真には残しておらず・・・

軍艦島

正式名称は端島
日本の近代化を支えた炭鉱の島です。
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こうしてみると本当に大海原を堂々と突き進む軍艦のように見えます。

上陸してガイドさんの説明を聞きつつ島内を周ります。
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炭鉱へ向かう入り口。奥の高台に見える灯台は炭鉱閉山後に作られたものだそうです。
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総合事務所跡。
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住居棟。
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高台に左側の建物は貯水槽。真水はなかなか入手することができないため貴重だったそうです。
高台の右側の建物は偉い人たちが住んでたところだそうです。

ガイドさんの説明で印象的だったのは、カラーテレビがほとんど普及していなかった時代に、島内での普及率がほぼ100%だったということ。危険ではあるけれど、儲かる仕事だったんでしょうね。
そんなふうに栄えていた島が閉山からたった40年でこのような状況。なにかもの寂しい気持ちになります。


というわけで長崎編でした。
本当は長崎まで足を伸ばすつもりはなかったんですが、大いに満足でした。

*1:調べるまで中華街は横浜だけだと思ってました。